2011年1月31日月曜日

JoJo日記~生後2週目・黄疸~

太字JoJoは、生まれたとき、皮膚にうっすら黄疸(Jhondus)が出たため、退院後、2回ほど血液検査のため病院へいき、小児科のドクターオフィスへフォローアップの検診にでかけました。

小児科のドクターは、生まれた翌日から担当してもらっている、Dr.Huang という先生で、先生自身も二人の小さなお子さんがいて、そのうちの一人は、偶然JoJoと同じ名前 Joshua なんだって。

黄疸を治すには、まず2時間おきに授乳。
とにかくたくさん便・おしっこをさせれば、黄疸を引き起こしているリビルビンが排泄され、黄疸が消えるんだって。
3時間おきの授乳から約2時間おきの授乳へ。
これを1週間続けたら、おかげで、黄疸はなくなりました。黄疸には、日光浴もいい、といわれて、JoJoを散歩に連れ出すお父さん(ダーリン)
お父さん(ダーリン)が、JoJoをゲップをさせているところ。
顔がフギャってなってるよ~
おっきなアクビです

2011年1月30日日曜日

JoJo日記~生後1週目~

JoJoと退院してきてから数日後、ゆうこりんご夫妻とスーパー主婦YASUKOさんが、JoJoに会いにきてくれました。

予定日間近のゆうこりん。
もうすぐパパになるSHINGOさん。

血圧がちょっと高い私のために、血圧測定器を買ってきたダーリン。
ナースのゆうこりんに、使い方を教わってます。


JoJo、YASUKOママに抱っこしてもらってゲップさせてもらって、よほど心地よかったのね。
すぐに寝ちゃったよ。
やっぱり、慣れてるな~

YASUKOさんは、手作りのラザニアを持ってきてくれました。
オーブンに入れて焼くだけの状態になってて、焼き方のメモまで添えてくださるほどの、細やかな心遣い。
焼き上がり後。ダーリンが、今まで食べたラザニアの中で、最高に美味しい!と、大絶賛!
ほんっとに美味しくて、あっという間になくなっちゃった。
最後のひとかけらまで、奪い合いでした。

2011年1月21日金曜日

妊娠37週目~分娩・出産~

1月21日(金)午後12時10分、男の子を出産しました!!
予定日より約3週間早い誕生となりました。
体重は6ポンド9オンス(約2977g)、身長は17.75インチ(約45cm)
名前はJOSHUA、ニックネームはJoJo です。


出産前日の1月20日(木)、午前中から午後にかけて、1時間に6回の子宮の収縮あり。
自分では気づかなくて、お腹につけたモニターのグラフでわかったんだけどね。

その日の夕方、スーパー主婦YASUKOさんが、病室へお舞いにきてくれて、手作りのお弁当などを差し入れしてくれました。
ちょうどその時、ナースが、血圧を測りにきて、“あら、ちょっと血圧が高いわ”って。
“ドクターに連絡しなくちゃ!”って、出たり、入ったり、ちょっとバタバタしてきて
で、その後、血圧はどんどん上がり、最高で上180/下111とか。

まず血圧を下げる薬が点滴で打たれました。
で、しばらくしても、まだ血圧が高いので、陣痛誘発剤を使って、分娩することなり、分娩の個室へ移動。
映画みたいに、ベッドで寝たまま運ばれたよ。
血圧が高くなっても、自分で自覚症状がないのがコワイよね。
20日の夜から点滴で陣痛誘発剤を投与され、21日の朝4時半ごろ、破水

トイレにいきたくて、ナースを呼ぼうとちょっと起き上がったところ、ジワーっと温かいお水がでてきた。
”ああ、これが、破水ってやつね”、なんて、このあたりまでは、まだ余裕があった。

陣痛がどんどん頻繁になり、6時半ごろ、部分麻酔 Epidural を打ってもらい、ああ、これでラクになる、と思ったら、大間違い。
ここからが、痛い、痛い物語の始まり~。

ベビーがすでに下に降りてきてたので、陣痛がはじまるのが早く、でもまだ子宮口が十分にひらいてないので、いきみたいのにいきめず、でっかい大便がお腹にたまって、肛門のところまででかかってるのに、出せない、みたいな、痛み。
あんなに痛い思いをしたのは、生まれて初めて。
ベッドの柵にしがみついて、ウォー、ウォーっとのたうちまわってました。

いきみたくてもいきめないまま、約6時間くらいフゥーフゥーと深く息を吐き陣痛の痛みに耐え、“子宮口が開いてきたのでいきんでいいわよ”、とGOサインがでてから約2時間で、やっとベビーがでてきた。


眠気と陣痛が交互に襲ってきて、意識が朦朧としたままの分娩で、よく覚えてない部分もあるのよ。
陣痛の波が襲ってきて、いきんでは、とにかく眠くて眠くて意識が遠のく、ってのの繰り返しでした。

ベビーよ、とにかく無事に生まれてくれてありがとう、と、感きわまったよ~

分娩後、2時間くらい、ベビーと同室で過ごして、初乳などをあげたりしてたんだけど、ダーリンがベビーを抱っこしてたとき、うまく呼吸ができなかったのか、ベビーの呼吸が一時停止して、顔色、カラダが紫色に急変したの!!
チアノーゼというのかな。

部屋にちょうどナースがいて、酸素吸入をしてくれたのでよかったけど。
すぐに、乳児専門のドクターや、他のナースなどが、10人くらい分娩室にかけこんできてね。
とりあえず、様子をみるため、ベビーは、ICUに入れられることになりました。

私は、“ああ、大変なことが起こっているんだ”と状況は理解してたのはと覚えてるんだけど、薬と麻酔で脱力感、眠くて意識が朦朧としてて、ベッドで動けないまま、眺めてるしかできなくて。
自分は母親なのに、産み落としただけで、呼吸困難になってるベビーを助けることも、何もできない、無力感でいっぱいだったよ。

ベビーの呼吸が停止した原因は、私に点滴で投与されてた、血圧を下げる薬(magnesium)がそのままベビーに影響してベビーの血圧を下げてしまった、という可能性もあるらしく、また早く生まれたってのもあるし、単純にべビーが呼吸するのを忘れてたり、色々な原因があるみたいだけど、とにかく、現時点では、脳などへの影響はない、とのこと。


分娩前夜の20日から出産当日21日のかけて、24時間の間に、あまりにもたくさんのドラマがあって、分娩直後は私もダーリンも疲労とストレスがピークに達してたよ。
ベビーをICUに入れてもらったおかげで、21日の夕方から夜にかけて、二人とも3~4時間の仮眠、ぶっ続けで眠れた。


その後の経過は、私は、薬のおかげで血圧はだいぶ戻ったけど、貧血も少々あり、尿中にタンパクが出ているため、入院。
ベッドで点滴をされたまま、薬のせいでウトウト、起きたり眠ったり、3時間ごとにおきて、母乳を搾乳機で搾乳(PUMP)したり。
ベビーJoJoに会いにいくにもICUへは車椅子を使い、まだまだヨロヨロの状態。
分娩後2日目あたりから、ベビーに母乳をあげてもよい、とのことで、2-3時間おきにICUへ通い、通い母。

1月24日(月)には、薬が効いて私の血圧もなんとか安全な数値に治まり、母子ともに退院してきました。


真ん中が、私の産婦人科のドクター Dr.Almassi 今回の入院では、真夜中でも、常にナースにコンタクトをとり、私の様子をチェックしてくれ、夜8時以降でも、病室に立ち寄り、様子をみにきてくれました。
検診で血圧が高いのですぐ病院へいくことになり、そのまま入院、分娩・出産となったけど、ドクターを100%信頼してたので、まかせて安心、不安はなかったよ。

ドクター自身、2歳半のお子さんがいるらしいけど、朝から夜rまで、分娩だけでなく、ときには婦人科系の手術もするらしく、いったいいつ寝てるのか。

もし、私に、二人目、三人目のべビーが授かる機会があれば、ドクターに取り上げてほしい、ってお願いしてあるの。


JoJoの呼吸が止まったとき、酸素吸入してくれたナースEdie(一番右側)
JoJoの命の恩人です 。
私の分娩のときから担当してくれてました。Dr.Almassi をはじめ、病院(John Muir Walnut Creek)のナースや、乳児専門のドクターなど、皆、親切で素晴らしく、恵まれた環境で出産できて、本当にラッキー。

スーパー主婦YASUKOさん、ゆうこりんご夫妻には、お見舞いにきていただき、たくさんの差し入れをいただいたり。
家族、親戚が近くにない私達には、本当にありがたかったです。


そして、うちのダーリン。入院となった日から、昼も夜も、ずっとつきっきりで、病院に寝泊りしてくれました。
英語が得意でない私にかわって、点滴や薬、どんな効果があるのか、副作用はないのか、などをナースやドクターに細かくチェックしてくれたり、洗濯物や身の回りのものを取りに、病院と自宅を往復してくれたり。
分娩のときは、立会って、ナース、ドクターといっしょに、私の足や体をささえたり、始終、側で励ましてくれてたよ。

分娩直後の私は、ベビーに初乳だけあげたけど、その後はベビーを抱っこし続ける体力も気力もなく、私もべビーも、“お父さん(ダーリン)”だけが、頼りだったよ。

以前にもまして、ダーリンがものすごく、頼もしく見えました。
Arigato Darling !


2011年1月20日木曜日

妊娠36週目~妊娠高血圧症候群~

妊娠36週目5日目のある日、定期検診のためドクターのオフィスにいき、いつものように体重測定、尿検査、血圧測定をしたら、これまでまったく問題なかった血圧が、何度測定しても高いの。
上が140、下が100以上。

ここのところ、夜の胸焼けがひどくて、真夜中の2時、3時まで眠れない日が続き、前の日も4時間くらいしか眠れなかったせいかな、とも思ったけど、ドク ターは、原因はなんともわからない、もっと詳しくモニターする必要あり、ということで、急遽、病院にいくようにいわれました。
このまま血圧が上がり、最悪の場合は、陣痛を誘発して出産ということになるかも、と。

“えぇ?!陣痛を誘発?出産??”
ダーリンと、何がなんだか、わからないまま、とにかく言われるがまま病院へ。
この日、ダーリンが一緒に付き添ってくれててよかった。

病院は、出産をすることになっている病院 John Muir Medical Center, Walnut Creek
横になった状態で、一定の間隔で血圧を測定、お腹にモニターを装着して、超音波で胎児の心音や動き、子宮収縮の間隔などを調べる検査のため、2~3時間、病室に滞在。
どうやら、軽い妊娠中毒症妊娠高血圧症候群と呼び名が変わったらしい)みたい。
英語では、Preeclampsia(よく、間違って Preclampsia とミススペルされるらしい)というんだって。

その後、血圧はそんなに上がらず、ベビーの様子も問題ない、とのことだったので半日くらいで帰してもらえるのかな、と思ったけど、自宅に戻るにはやはり少 々血圧が高く、でも陣痛を誘発させてまでベビーを出産するほどでもないらしく、もう少し、様子を見るために、急遽、入院することに。

この時点では、半日くらいで帰宅させてもらえるだろう、と思ってたのよ~


~妊娠中毒症(妊娠高血圧症候群)とは~
妊娠中毒症(妊娠高血圧症候群)の症状のひとつ、“蛋白尿”。これがひどくなると、毎日5~10gの蛋白が母親の体内から失われ、母親は低蛋白血症となり、胎児へ移行する栄養が減少します。

さらに、妊娠高血圧症候群が悪化すると、胎盤の状態が悪くなり、臍帯(へその緒)を通じて移行する酸素や栄養物がうまく胎児に届かなくなります。
 この症状が続くと、胎児の発育が悪くなり、やせてきます(子宮内胎児発育遅延)。
 また、臍帯の血流が時々止まったり、逆流するようになります。

 こうなると、胎児死亡を起こしたり、胎児が危険な状態になるため、未熟な状態でも帝王切開で赤ちゃんを出産せざるをえなくなります。
 赤ちゃんは体重も少ない上に弱った状態で生まれますので、後遺症を残すこともあります。

コワイ、コワイ病気なんだ~


ダーリンは一度自宅に戻り、下着など入院に必要なもの、本、ラップトップのパソコン、デジカメやバッテリー充電器など、色々もってきてくれました。
一輪挿しにお花も挿してもってきてくれたよ。
こんなことになるとは、予測もしてなかったけど、いつ陣痛がはじまって、入院・出産となってもいいように、バッグに、下着やら、洗面道具、スリッパ、ガウンにベビー服、付き添いのダーリン用のペットボトルのお茶やらスナック類などを用意しておいてよかった。今は、とくに、薬も飲んでないし、点滴とかもないし、ただ、ベッドでおとなしく横になり、ナースがきて定期的に血圧を測定、お腹には常に超音波モニターが つけられてて胎児の心音や動き、子宮収縮の間隔などがチェックされ、たまに尿検査、血液検査などがあり、美味しくない病院食を食べてます。
幸い、食べ物の制限がとくにないので、ダーリン、おせんべいやら、ゼリー、ヨーグルト、ピザ、サラダなど色々食べ物を買ってきてもらってます。
ただ、ベッドに横になってるだけなのに、お腹空くのよね~

部屋は、個室で、トイレ、シャワー、テレビ付き、インターネットも使える。
看護婦さんはみんなとっても親切で、おかげさまで快適に過ごさせてもらってます。

病室に、折りたたみベッドを運んでもらったので、夜は、ダーリンは、病院にお泊り。
ダーリン、自分で“眠りが浅い”といってるけど、アイマスクに、耳栓、準備万全で、ゴオゴオと地響きみたいなイビキをかいて、こんな折りたたみベッドなのに、うらやましいくらいの熟睡ぶりです。


これまで、つわりも、何もなく順調なマタニティーライフだったのに、妊娠後期になって、色々でてきちゃって、やっぱり高齢出産、最後まで何があるかわからないもんです。

クルマにカーシートも乗せてあるし、もう、いつベビーが生まれてもOK!
もう、ここまできたら、早くベビーを生んで、家に帰りた~い!

それより、アメリカの病院で、入院なんて、いくら医療保険に加入しているとはいえ、いったい、いくらの請求書がくるのか、そっちの心配で、血圧があがっちゃうわよね?!
(ちょうど一年前にダーリンが、腰の椎間板ヘルニアで手術・入院したとき、病院から保険会社への請求額が900万円くらいだった。自己負担は20~30万円くらいで済んだけどね)

2011年1月12日水曜日

妊娠35週目~超音波検査~

思いもかけず、赤ちゃんが少し降り気味のため、突然、仕事を退職することになり、子宮の収縮を抑える薬を飲んで、自宅で安静するようになって、約1週間。

数日前にドクターに診察してもらったところ、あと1週間薬を服用して、その後は薬をやめて、自然に陣痛がきてベビーが生まれてくるようなら、そのまま出産でOK、とのこと。
今、35週目。

ドクターにそういわれても、私としては、やっぱり、37、38週目くらいまでは、ベビーにお腹の中で育って
ほしい。

今日は、ベビーのサイズ測定と、おおよその予定日をチェックするため、ウルトラサウンド(超音波検査)にいってきました。

21週のときの超音波検査が、おそらく最後、といわれてたので、もう一度ベビーが見れるなんてうれしい。

さらに、ずっと家に閉じこもっているので、検診や検査で外出するだけでも、“おでかけ”できるので、なんかウキウキです。

前回のウルトラサウンドでは、大きなスクリーンで、しかも3Dでも見せてもらえて、ベビーの顔なんかがちょこっとだったけど、立体的で見えたけど、今日、検査をした施設は、設備がちょっと古そうで、小さなモニターで、これが鼻で、口で、手・足で、と色々説明されたけど、よくわかんなかったな。
今日の時点でのベビーの推定体重が6ポンド(約2600グラム)、予定日は、これまでの2月15日からちょっと早まって、2月10日だって。

今、生まれてきても、十分育つらしいけど、でも、やっぱり、もう少し、お腹の中で大きくなってから。
一日中、たっぷり時間はあるのに、自分では何もできないのがもどかしいけど、ベビーのため、横になって、おとなしくしてます。

そうそう、お股の間のおちんちんを再度、確認、間違いなく男の子です。

2011年1月9日日曜日

妊娠34週目~自宅安静・その後~

先日の診察の結果により、突然退職、自宅安静することになりましたが、その数日後、その後の経過をみるため、またドクターのオフィスへ。

子宮頸部が、前回よりもさらに開き気味、さらに子宮の収縮もみられる、とのことで、早産を防ぐため、子宮が収縮しないよう筋肉を和らげる薬が処方されました。
この薬で、下腹部の痛みが治まるはず、これでも痛みが治まらない場合は、入院することになるかも、って。

薬は、服用後1~2時間後には、見事に効果があり、歩くたびに、また寝返りを打つたびにイテテテテって痛んでた下腹部の痛みも消え、ワンダホー!なんだけど、副作用で頭痛がガンガン。
あらかじめ、ドクターから、副作用で頭痛あります、ってきいてたから、仕方がないのだけれど、寝ても覚めても、消えない頭痛。
起きたり眠ったり、一日中、頭がガンガンで、朦朧としてる。

でも、元気なベビーに対面するために、“うれしい痛み”として、お母さん、耐えるよ~
なんちゃって。

トイレ、入浴、食事、着替えのとき以外は、横になって安静、といわれているので、ずっとベッドで横になってます。
薬のおかげで、寝返りをうつのもラクラク。
でも、横になってばかりで、背中が痛い。
薬は6時間ごとに服用なので、時計のアラームをセットして、朝、昼、夜、夜中に起きます。

今、ダーリンの仕事がヒマな時期でお休み。
買い物から料理、洗濯などの家事をやってもらって、本当に助かってます。

2011年1月6日木曜日

妊娠34週目~突然の退職・自宅で安静に~

妊娠34週目。

いつもの定期検診のため、ドクターのオフィスへ。
今日は、お父さん(ダーリン)も仕事が休みだったので、一緒に。
いつもの体重測定、血圧、尿検査。
この日の体重は144ポンド(約65kg)。
お正月料理をたくさん食べたせいか、体重がいっきに増えたな~
今でも、毎朝、お餅(2-3個)を焼いてお雑煮食べてるよ。

年末から年明けにかけて、下腹が痛みはじめて。
座ってるときは平気なんだけど、歩くとき、イスから立ち上がるとき、痛くて前かがみになっちゃう。
あとは、夜、横になると、お腹がカチカチに張って、痛くて痛くて、しばらく眠れない。
妊娠の本には、ベビーがだんだん下がってきて、またはホルモンの影響で足の付け根や恥骨が痛くなる、ともあったので、こういう痛みも普通なのかな、と思ってたの。

一応、ドクターに話したら、膀胱炎の可能性もあるので、すぐに尿を検査してみましょう、と。
でも、尿は何ら異常がない。
で、触診・内診をしたら、ベビーが下がり気味で、Cervix(子宮頸部)が閉じているけど、柔らかくなってきている、とのこと。
未熟児で早産を避けるためにも、すぐに仕事はやめて、自宅で安静にするように、と。

え~、仕事やめるの?
私の予定では、あと2週間くらい働いて、有給休暇なんかも消化して、1月末で退職、となるはずだったのに。

ドクターが、“出産は、人生でも1-2回、多くて3-4回しかない大切な体験だし、働くのはまたいつだってできるのよ、”って。
必要なとき意外の歩行はなるべく控えて、エクササイズ、ウォーキングなどは一切禁止。
とにかく、横になって、休息をとること。

まさか、こんな展開になると思わなかったので、職場の仕事の引継ぎのことで頭がいっぱい。

さっそく、職場に連絡を入れて、事情を説明して、すぐ退職させてもらうことになりました。

ダーリンに運転してもらい、職場のオフィスにつれていってもらい、上司や同僚に挨拶、仕事の引継ぎをお願いして、自分のデスクの片付けに。

突然、こんなことになったにもかかわらず、同僚のみんな、快く仕事の引継ぎを引き受けてくれて、お花やケーキまで用意してくれて、見送ってくれました。
本当に、周りの皆さんに支えられて、助けてもらって生きてるな~、と、実感。
感謝、感謝です。

自宅に戻り、トイレ、食事のとき以外は、ベッドやソファで横になり、本を読んだりウトウトしたり。
ベビーには、“まだまだ降りてきちゃダメ、あと4週間くらいは、お腹の中で待機するように~”と、言い聞かせてます。
うちのベビー、私に似て、せっかちなのかな?

ダーリンは、“お腹の外の話し声、笑い声がベビーに聞こえて、ベビーが、自分も仲間に入れてくれ、と、早く出たがってるんじゃない?”なんて、ジョーダンいってます。

2011年1月1日土曜日

大晦日&お正月

12月30日は、仕事納め。
大晦日は祝日ではないけど、会社は休み。
元旦が祝日、2日は日曜日で休み、と、3連休のお正月休みもあっという間です。

大晦日は、きんぴらごぼう、筑前煮、その他、たけのこ、大根、大豆、かぶなどを煮て、ちょっとお正月気分。

そして、今回は、初めて、伊達巻作りに挑戦しました。

クックパッドで見つけた、伊達巻作りの超簡単レシピ!
http://cookpad.com/recipe/61210
はんぺん、卵、砂糖をミキサーで混ぜて、オーブンで焼き、まきすで巻くだけ。
驚くくらい、ほんっとに超簡単!

伊達巻
材料 ( 32cmの天板1枚分 )
卵 10個
砂糖 100g
はんぺん 大2枚
塩 少々

1. 卵はカラザ(白いひも状の部分)をとり、他の材料とともにミキサーに入れ、なめらかになるまでかける。
(ミキサーが小さい場合は2回に分けてかけ、ボールで混ぜるとよい)

2. オーブンシートを敷いた天板に流し入れ、200℃(華氏392F)-中段-15分焼き、240℃(華氏464F)にあげて上段で5~10分焦げ目がつくまで焼く。

3. 焼けたら熱いうちに焦げ目を上にして鬼すだれにのせ、手前から1.5cm間隔で2本ぐらい包丁の背で筋をつけてから巻いていく。
巻いたらゴムで両脇を止めて、さめるまでそのままおいておく。


大晦日は、年越しそばと、ちょっと早いけど、お正月料理をいただきました。
(栗きんとん、昆布巻き、色鮮やかな煮物はゆうこりん、ゆうこりんママさん作)

元旦は、お雑煮でスタート。
昆布と鶏肉でだしをとり、みりん、しょうゆ、酒で調味したシンプルなスープ。
焼いたおもちに、具はかまぼこ、イクラ、三つ葉だけ。 毎年、同じお雑煮。
これを、我が家の定番のお雑煮にしようっと。

お雑煮のおもちは、こうやってビヨーンとのばして食べるんだよ~(ってのはウソ~)
ビヨ-ン

2010年は、6月に、待ちにまった“妊娠”が発覚して以来、“妊娠一色”の年となり、あっという間に終わってしまいました。
偶然、ゆうこりんとKAYOさんと同時期に妊娠して、おかげ様で楽しい楽しいタマニティーライフをすごすことができました。
そして、いつもいつも、手足となり助けてくれる、優しいダーリンにも感謝です。

2011年は、2月にベビーが誕生、家族が増える予定です。
スーパー主婦YASUKOさんや、かほりんから、ベビー用品のお下がりをたーくさんいただいて、いつベビーが誕生してもOK!
2011年は、出産に子育てに、何もかもが初めて、“初めて”がたくさんの年になるんだな~

私も、ダーリンも、ベビーも、大好きな友人達、日本の家族、ダーリンの家族、誰も彼もみんながハッピーで、健康に過ごせますように。
皆様、これまで同様、2011年も私達を暖かく見守ってください。
よろしくお願いします!