2008年8月14日木曜日

子犬たちのララバイ

マドンナたちのララバイ、ならぬ『子犬たちのララバイ』

こんなおもしろビデオを見つけました。
犬の飼い主が、子犬たちが眠りにつくまで子守唄を歌ってあげてるの。


Puppy Lullaby

http://video.msn.com/video.aspx?mkt=en-US&vid=b1c7785a-2513-481d-bc56-d6fdfddeab8d

みんな一斉に眠っちゃうから、不思議。
どんな夢を見てるのかなー?

2008年8月9日土曜日

ウイグル(東トルキスタン)

ウイグル独立派・五輪テロ、というニュースをみて、気になったので調べてみた。

ウイグル?ウルグアイ?
どちらもきいたことがあるし、混合しちゃって。

中国のウイグル自治区に住むウィグル族。
ウルグアイはブラジルとアルゼンチンにはさまれた南米の国。
ぜんぜん違うけど、間違っちゃうのがわからなくもないでしょ?

ウイグルは、イスラム教色が強いんだな。

なんと、ウイグル地区で核実験がたくさん行われてて、奇形児がたくさん生まれているらしい。
最近では、ウイグルの被爆症で苦しむ人たちの窮状を訴えに、ウイグルのお医者さんが唯一の被爆国である日本で講演をしたり。
いったい、ウイグルで何が起こっている?

昨年、アムネスティの招きで来日したウイグルの人権活動家、ラビア・カーディルさんの講演のスペーチ。
ウイグルで何がおこっているのかがわかりやすい。


『ウイグルの人権活動家 日本に訴え』
ラビアさんはウイグル人の人権を訴えたため、中国で1999年から6年間投獄された。
2005年に欧米の人権団体の尽力で釈放された後は、アメリカに在住されており、現在、世界ウイグル会議の主席でもある。
ラビアさんは、その小さな体から、張りのある声で、力強く訴えをなさった。
だが、いまなお獄中にある息子たちのことを語ったときには、涙を流しておられた。
以下、そのおおまかな内容を紹介する。

◇ ◇ ◇
 私の民族の名前はウイグル族。祖国の本来の名前は東トルキスタンです。
1949年、中国に侵略されました。
ソ連に侵略された西トルキスタンの諸民族は、ソ連が解体したときに独立しましたが(カザフスタン、キルギスタン、ウズベキスタン)、私たちは50年以上、中国共産党の侵略の下で暮らしています。
 私たちは、自分たちの独自の言語や文字、文化、歴史を持っています。本来なら、自分たちの祖国や文化が持てるはずです。

 中国が侵略してきたとき、現地の漢族は人口の2%程度、軍人とその家族だけでした。
彼らが「新疆ウイグル自治区」を立ち上げました。
1954年には、ウイグルの中でお金や土地を持っている人を、「西洋主義」というレッテルを貼って逮捕しました。1957年には、知識人や宗教指導者に、今度は「民族主義」というレッテルを貼って逮捕しました。

 私はアルタイという町の商人の家庭で生まれ、平和な暮らしをしていました。
けれど、政府は、集中的に住んでいたウイグル人をあちこちに移動させる政策を取りました。
毎日のようにトラックが来て、近所の人をあちこちに連れて行きました。私の家の前にも、ある日、トラックが来て停まりました。どこに行くのかや、何のために行くのかも知らされ
ずにトラックに乗せられ、タクラマカン砂漠の中の町に移住させられました。
当時、私は13歳でしたが、教育の場も、近所の人も、生まれ育った故郷も失いました。

 中国共産党の侵略の結果、ウイグル人は経済力も、教育も、独自の文化も、宗教的な価値観も失いました。そのことに不満を言った人々は、みな「民族主義者」として処罰されました。

 1978年に改革開放政策がはじまり、私は商売を始めました。
私の商売は成功して、中国の十大富豪の中の7番目にまでなりました。
私はそのお金で学校を開き、奨学金も出して、ウイグル族の教育のために努力しました。しかし、ウイグル族を救うにはいたりませんでした。

 そこで、私は次に、政治の世界に入りました。当時、私は有名人だったので、全国の政治協商会議の委員にもなれました。
鄧小平や江沢民の前でも演説して、ウイグル人に、教育・経済・文化の面で平等な発展を与えるよう訴えました。
当時は、私は、北京の中央政府がウイグルの現地の悲惨な状況を知らないことに問題があるのだと考えていたのです。 

しかし、ソ連が崩壊したときに西トルキスタンの諸民族が次々に独立したこと対して中国は危機感を抱き、むしろ体制を厳しくしたのです。
1997年、グルジャという町で、1万人を越す人が自由や平等を求めてデモをしました。
手に武器を持った人はおらず、平和的なデモでした。

しかし、中国は軍隊で鎮圧しました。その場で407人の人が殺され、逮捕者は6万人を越えました。
デモに参加した人の家族や友人まで逮捕したからです。しばらく経ってから、トラックで引き回したうえでの公開処刑がおこなわれました。
当時、私や欧米の記者たちも現地調査に行きましたが、捕まってしまい、結局、国際社会は何もしてくれることはできませんでした。

 1987年以降は、計画出産の政策によって、ウイグル人の人口が減らされました。
その代わりに、ウイグルには大量の漢人が移住しているのです。私たちはこの地からだんだん消されていくのではないでしょうか。

 2003年からは、ウイグル族が教育の場で、ウイグル語を使うことも禁止されました。また、2000年から、7-16歳の子どもたちが毎年、数千人、内陸の方に連れて行かれて教育を受けさせられるということもやられています。なぜ、私たちの子どもが、自分の生まれ育った土地で、自分たちの言語で教育を受けられないのでしょうか?

 2006年6月からは、ウイグル族の各家庭から少なくとも1人の娘を、内地に労働に行かせることが義務づけられました。「就職させる」という名目なのですが、数百万人の漢人がこちらに来て就職しているのに、なぜなのでしょうか? 「娘を行かせない」と言った親は、取り締まられました(筆者注:この政策について、ラビアさんは記者会見で、ウイグルの娘たちを低賃金労働者として利用しつつ、彼女たちと漢族の男性との結婚を増やし、ウイグル族を漢民族に同化・消滅させる狙いがあると語っている)。

 また、ウイグルでは核実験が45回以上おこなわれました。
すぐ近くに人が住んでいる場所でやるので、数多くの人が死にました。
生まれてきた子どもが障害を持っていることも少なくありません。
政府は被害者に対して何の対策も、何の医療措置もしていません。政府の内部資料によると、死亡した人の数は70万人です。

 ウイグル自治区は、現在中国で唯一政治犯を死刑に処している地域です。
たとえば2004年、現地の政府のトップ・王楽泉は「2004年1-8月に、22の組織のメンバー55人を死刑にした」と言いました。
外国のラジオを聞くなど、ちょっとしたことで政治犯にされます。最近は、私たちに「テロリスト」というレッテルを貼るようになりました。

 私の監獄での体験はとても話しきれませんが、そのうち2年間は、光がまったく入らない真っ暗な部屋に入れられました。
その監獄から出され、アメリカ大使館に引き渡されたとき、政府から「今後、政治的なことは一切話すな」と言われました。
しかし、私は話さずにはいられません。
その報復として、私が残してきた子どもたちは投獄されています。
 
今、来年のオリンピックを控えて、今年5月から、ウイグル人のパスポートは強制的に回収され、(ウイグルの内情を外国に知られないよう)国外に出さないようにされています。


 私たちの祖国は資源が豊富で、天然ガスや石油が出ます。しかし、それらの資源は剥奪されています。
農民の土地も、内陸から来た人に奪われています。


 私は、国際社会が動くまでとにかく訴え続けます。
ウイグル人は日本に親近感を持っていますし、日本はアジアで唯一、民主主義が進んだ国です。
アメリカやヨーロッパの方が私たちに支持や理解を示してくれています。
皆さんを通じて日本の行政にもこの問題に関心を持ってもらい、中国政府に実態の改善をするように圧力をかけていただきたいのです。
みなさんの力をぜひ貸してください。
◇ ◇ ◇

“ウイグルの母”ラビヤ・カーディル シルクロードからの告発http://www.geocities.jp/kokok0512/

2008年8月8日金曜日

SF 中国領事館で抗議の女性落下

サンフランシスコにある中国の領事館で起こった事件。

チベットでの人権問題に抗議する活動家たちが、黒い衣装をまとい自らの体をロープでくくって、領事館の建物の屋根から吊り下げて(まるで死体が吊り下げられているように見せかけて)、“"Stop the Killing in Tibet"”とサインを抱えてデモンストレーションを行っていたところ、領事館の職員にロープを切られて、そのまま落下。

やっぱり、中国。
暴力、武力おかまいまし。
こういう弾圧のやりかた、だよね。

“あ?抗議デモで屋上からぶら下がってるのがいる?ロープ切っちゃえ、そんなの。オレら中国をなめんなよ”っていう会話がされたかどうかわかんないけどさ。

89年の天安門事件で、抗議するひとが、戦車でひき殺されてたのをテレビでみたのを憶えてる。
人を殺すのも、まるでアリでもひねりつぶすかのように簡単にやる国なんだな、と思った。

国家に対する批判なんてもってのほか、“これってヘンじゃない?”みたいな疑問すら抱いちゃいけないんだろうね、あの国では。


でもさ、世界中の国々がそんな中国を批判しつつも、なんの制裁も与えられないなんて口惜しいね。
経済制裁なんてやろうものなら、日本もアメリカも逆に自分の首を絞めるしね。
あたりをみわたせば、なんでもかんでもMade in China。
デパートで買い物をしたときにもらう紙の手提げ袋まで Made in China で驚いたわ。

中国に頼らずに、自分達の国で、つくったり育てたり、なんとかできないものかしらね。
日本は、中国に、政府開発援助(ODA)で総額30兆円以上も支払ってるらしいね。
もちろん中国の国民はそんなこと知らなくて。
経済的に貧しいから金くれ、って国なのに、スペースシャトルは打ち上げちゃうし(軍事目的)、軍備拡大して台湾、チベットを威嚇するわ。
(ということは、日本にもチベット問題の責任がある、よね?)

おまけに自分達が援助をして貰っているにも関わらず、モンゴル、ガーナ、カンボジア、バングラデシュ、など他国に援助をしているらしい。

さらにひどいのは武器輸出大国の中国から、北朝鮮が武器を買い、ミサイルを保有し、日本は、そのミサイルに脅かされている...これはどう考えたって、間違ってるでしょ。

みんなの税金がこんな使われ方してるなんてね、許せないよね。
それはアメリカでも同じだけどさ。

中国に弱腰な日本にぴったりなことわざ。
『盗人に追い銭』
盗人に物をとられたうえに、さらに銭を与えてやること。損の上に損を重ねることのたとえ、だって。

2008年8月7日木曜日

Jeep Girl

エヘヘー、どうよー?

シートが近すぎじゃないか、って言われるけど、こうしないとクラッチが踏み込めないんだもーん!


女の子用のおもちゃのバービージープも売られてるらしい。


2008年8月6日水曜日

二代目フーシャ

二代目フーシャ。

前に買ってきた一代目フーシャは、“花はとにかく日光に当てておけばいい”というワタシの勝手な思い込みで、たっぷり陽のあたるところにおいておいたら、枯れてきちゃった。
おかしいな?と思って調べたら、フーシャは日陰で育てること、だって。真っ青!
時すでに遅し。 ゴメン、一代目フーシャ。

フーシャは、直射日光が当たらないよう、水をやりすぎないように注意です。

タタミ一畳分くらいの花壇。

ブーゲンビリヤ2本(右)はすくすくと伸びてはいるけれど、葉の色が変わらない。(庖がつかない)日射時間が少ないのかな。柵というか壁、フェンスが高いのでどうしても日の差す時間が限られちゃう。

もっと背丈が伸びれば、もっと陽に当たるようになるかな。
プランターに植え替えて、フェンスの上のほうに壁掛けっぽくしてあげたほうがいいかしら、とか、やきもきさせられるわ。


手前は香りのよいローズマリー、小さな紫の花が咲くメキシカン・ヒース(英:Mexican Heather)など。セールで3つで10ドル。

これから花たちの冬越えに備えて準備しないといけない。

日本だとこれくらいの大きさのビニールハウスがあるみたいだけど、こっちではやたら大きいのしか売ってないんだよね。

手作りするっきゃないかな。



ぎっくり腰

さて、5月初旬からギックリ腰で腰を痛めているダーリン。
(私のスーツケースを車のトランクに入れようと持ち上げてひねった)

一向に良くならないので、とうとうこんなものでストレッチをするようになりました。
滑車にロープを引っ掛けて、片方ずつ足を吊り上げてストレッチをするんだって。
敬愛するブルース・リーの本に載ってたらしい。



こんだけしか上がってないけどかなり痛いらしい。
ウウっとか、アアっとか唸りながらやっているので、ご近所さんは何事かと思うかも。

ちなみに、ちゃっかり私のベルトが使われております。

ギックリ腰を治すには、何がいいんでしょうね。
カイロプラクトとかに行ってもなかなかよくならないみたいだし。
温めたほうがいいのかな?
 

2008年8月4日月曜日

クラッチスタートシステム

日曜日は、一人でクルマの路上練習にでかけました。

近所の一般道をグルグルまわって、近くのアニマルシェルター(捨てられたり、飼えなくなった犬、猫などが引き取られ、新しい家庭に引き取られるのを待っているの)に寄って、20分くらい犬たちを眺めて満足して。
駐車場に戻って、さあおウチに帰りましょ、とエンジンスタートするためキーを回したけどエンジンがかからない!!
“え、なんで?なになに?”って慌てたわよ。
“もうクルマを壊しちゃた?いったい何をしちゃったのワタシ??” 
何度か試してもエンジンがかからないぃぃ。

仕事中のダーリンに電話して、クルマが動かないよーって報告したら、開口一番、“エンジンをスタートするとき、クラッチを踏み込んだ?”って。で、クラッチを踏み込んでキーを回したら、動いた...

どーもお騒がせしました。

でもさ、日本の教習所でそんなこと習わなかったよー!

教習所で習ったのは、サイドブレーキがかかっているか、シフトはニュートラルの位置か、を確認してエンジンスタートだったような。

ダーリンの話によると、ファーストギアにいれたままエンジンを止めて、次に運転するときにシフトをニュートラルにせずエンジンをスタートさせてしまうため、急発進の事故が頻発し、10年くらい前から、クラッチを踏み込まないとエンジンがスタートしない、『クラッチスタートシステム』が導入されたらしいの。

なるほどね、ワタシが日本で教習所に通ってたのなんて、17年、18年前だものね。

なーんだ、でかけるときは意識してなかったけどちゃんとスタートさせてたんだ。
(そっちのほうが不思議だけど)

一件落着!

でもさ、『クラッチスタートシステム』って知ってた?

 

ドリームカー〜その4〜

土曜日は、天気がよかったので、さっそくクルマのトップをはずして近所をクルーズしてみました。

取扱説明書を読みながら試行錯誤。
慣れればもっと手際よく素早くできるのかしら。
じゃいってみよー

風が気持ちいいやねー

中はとってもシンプル。

スーパー主婦YASUKOさんのダンナさんのご実家の家庭菜園で穫れたトマトをいただきました。
手前の真っ赤な4個がいただいたトマト、奥の色の薄いのはスーパーで買ったトマト。
スーパーで買うトマトは水っぽいし、味がないので、サラダに混ぜるとかスープに入れるとか手を加えないと食べる気しないけどね。
久しぶりに冷やしたトマトを丸かじり。ちょっと塩をかけてね。
これだけでゴチソウです。

2008年8月2日土曜日

ドリームカー ~その3~


あれよこれよ、と話が進み、試乗させてもらった翌日(昨日)には、例のJeepを買ってしまったダーリン。即買い。私以上にはりきってるなー

昨日、私はさっそくアパートの敷地内で試しに運転してみたけど、クラッチのつなぎがなかなか難しくて、ガックンガックンしてたし、エンストするし。

私は、しばらく練習をしてからでないと路上には出ちゃダメ、と言われてるので(危ないので)、今週末は、猛特訓かも?!

わ、なんだか、昔、教習所に通ってた頃を思い出すわ。
高校3年の冬、周りのみんなは受験を控えてるっていうのに、私は推薦で大学が決まってたの(ラッキー!)で、早々と呑気に教習所通いをしてました。

知らずに未公認の教習所にいってしまったため、仮免許試験、本試験は鴻巣の運転免許センターで実地試験やったんだよね、確か。

あの試験官達は、制服着てるだけでも威圧感あるからね、よけい緊張するよね。

どうよー?







2008年8月1日金曜日

ドリームカー ~その2~

この間、黄色のJeep Wranglarがいいなー、ってブログにのせてたけど、なんと、ダーリンが、黄色のソフトトップのJeep Wranglar(中古)が売りに出てるのを見つけてきたの!

オーナーは同じWalnut Creek市内で、車で10分くらいに住むお子さんが3人いるパパさん。

もっぱら別のファミリーバンばかり運転してて、趣味で買ったセカンドカーのJeepはほとんど乗ってないので売りに出すことにしたんだって。

さっそくコンタクトをとり試乗させてもらいました。

マニュアルシフトだけど、ペダルは私でも十分届くから、慣れれば大丈夫、だと思う。2002年式で走行距離は27000マイル、まるで新品同様。
ソフトトップ。
トップをはずせば、まるで別の車のようになっちゃうのが新鮮!

時代の流れは、地球にやさしいエコ、ハイブリッドカー、そのうちエレクトリックカーか?って方向にいってるのは重々承知。でもさ、好きなんだもん、しょうがないじゃーん。

他にできることで地球にやさしくします。

写真がなくて残念ですが、なんか、車の内装はものすごくシンプル。
昔、友達が乗ってたスズキのジムニーを思い出すな。

ダーリンは、最初は黄色は自分の好みじゃない、ってイマイチだったのに、ハンドルを握ったとたん、すっかり気に入ったらしい。
さっそくオーナーさんと値段交渉。
あとは返事まちだってさ。
ワクワク!

お疲れの皆様に癒しの一枚。
かわいいでしょ、ほうーっとため息がでちゃうでしょ。
今日は木曜日だから、あと1日働いたら週末だーい!